山と格闘技

BJJ歴4年現紫帯(16戦10勝6敗)九州の山登ってます。たまに波乗り。

紫帯になりました。

柔術を始めて約4年半。ついに紫帯に昇格しました。

新潟で柔術を始めてそこで青帯をいただいて、職場の異動に伴って大分に引っ越し。九州の地で紫帯をいただけるというのは感慨深いものがあります。

 

一つの道場でずっと同じ先生から帯を貰い続けるというのも素敵なことだと思いますが、自分の矜持からすると流浪人のように全国を回りながらいろんな先生から帯をもらうというのが肌に合っている気がします。いろんな人から見て文句なしの帯に見合った実力が欲しいので。

 

新潟にいた頃は寮暮らしだったりコロナ真っ只中だったりそもそも道場が週3しか開いてなかったりで柔術に割く時間がそんなになかったのもあって大会参加率も少なかったですが、九州に来て結婚生活もスタートして競技に理解のある妻の協力だったり、所属させていただいてる道場も週5程度で開いててなかなか強者も多くて柔術に割く時間が増えて大会参加率も増加して柔術に対する理解も練度も飛躍的に高まったここ2年だったと思います。

↑メダル取得した大会だけでも5大会。メダルもらえてない大会も入れたらもう少し出てる。

 

九州勤務間の3年間の間に紫帯に昇格するというのは一つの目標だったので2年目で達成できてよかったです。

 

白帯の時から青帯の後半までずっと得意なガードだったり、得意じゃねーけど俺はこれで戦っていく!っていうガードを定められずにいて、練習でも試合でもなんとなく相手が引き込んでくれるのを待ってから上から運動神経と体力に任せたパスをしてポイントで勝つという戦い方でなんとなく勝ち越してましたが青帯後半の試合はその戦い方にも陰りが見え始めてトップキープに限界を感じていました。

 

(なにか一つでいいから得意なガードを作らなきゃ…)

 

そう思ってスパイダーやラッソー、クローズやデラ、リバデラ、色々試してそれなりの成果は出ますが相手が紫、茶帯だとすぐにボコボコ…

 

(どうしたらいいんだ…)

 

そんな悩みと同時に仕事が忙しくなり、試合に出れない日々が続きガードも定まらないし試合にも出れないしで柔術のモチベーションが著しく低下した時期もありました。

 

そんな中、まだ一つ意識して試してないガードがありました。それこそが

 

「ハーフガード」

 

でした。ハーフガードはグレイシー家では「ハーフマウント」と呼ばれるくらいマウントの一歩手前で好んで取る形ではないとされています。

 

さらにハーフガードの攻防は地味で華やかさにかけるので、泥臭いイメージがあって手を出してない面もあったし、ハーフの展開から有利に戦いを進められた記憶もなかったので最初はあまりいいイメージを持っていませんでした。

 

しかしハーフガードも意識して調べてみると、相手の足が抜けない足の組み方であったり、脇さしの攻防、ディープハーフ、ブリッジスイープ等、さまざまな技術体系があって奥が深く、YouTubeで身につけた付け焼き刃のハーフガードテクニックで道場でスパーしたところ、紫、茶帯レベルの相手でもひっくり返すことができました。その時

 

(これだ!)

 

と思いました。自分の身体的特徴を改めて分析してみると、柔軟性には欠けるが筋出力が高く、足腰が短い代わりに潜り込む動作に適しているいうことに気づきました。ハーフガーダーに適している身体なんじゃないか?と思いました。

 

そこからは日本におけるハーフガードの名人、岩崎さんの教則を購入して勉強してハーフガーダーになるべく修行がスタートしました。

 

道場でスパーして動画撮影して家で見返して改善点を洗い出して修正、そんな作業を少しづつ繰り返して精度を上げていきました。

 

そんな最中、仕事も落ち着いてきて出れそうな大会を探してエントリー。それが木村政彦杯でした。

 

結果は3戦2勝1敗でした。決勝で負けはしましたがハーフを駆使して戦い抜き、スイープも決めれたので自分は満足でした。自分のハーフガードの有効性を実証できたからです。

 

 

 

この大会のすぐ後に紫帯になることができました。

 

青帯の間にハーフガードという自分のガードを見つけることができて本当によかったし、そんな自分の内情を知ってか知らずか長いこと青帯を巻かせてくれた先生にも感謝です。